お肉のきもち |
今日のは、おなかがもたれぎみな方は 元気になってからご覧下さいね。m(u_u)m お昼に同僚と連れ立って行ったエスニック屋台で、思わずつられて お肉を頂きました。弱いことそのときは軽く考えてて。 頂いたときはよかったのデスけど、食後10分後に車酔いのクライ マックスみたいな状態に突然なって。 ずどんと重い感じが夜まで続いていたのでした。(T▽T) 夜、先生とbotanical-healingさんとお勉強していて。 その間もおなかが重くて、手を当てて白い光をひたすら当てていました。 おなかの上には、灰色に薄青と緑色が混じった、なんともいえない影。 そしておなかの中にフォーカスすると、お昼のそれが。 ふと思い立って、 顕微鏡をのぞくように、ぐぐーっとフォーカスしてみました。 それまで遠隔などで拝見するときは、そこまで「見た」ことなかったのデス。 2種類の小さな粒粒が視界にみっしりと詰まっていて、 境界を境に入り込もうとしたり、引っ込もうとしたりしていました。 胃壁を構成する光の粒子と、お昼のお肉を構成している光の粒子が せめぎあっているみたいでした。 そして、お肉の光の粒子の表面には、何か粘りつくような、交わることを 拒否するみたいな「感情」がまとわりついていて。 相撲をとるみたいに押し合いへしあいしていマス。 光の粒子が引き合ったり、交じり合ったり、ときには離れたがったりして いるみたいに。印象派の絵みたいにお互いが存在していていました。 その、「感情」を帯びた粒子たちをヒーリング?している間も、 おなかの上では、湧き上がる薄灰色の雲を天使さんたちが手に集めて 引き受けてくださっていました。 エネルギーの視界からみると、モノの間には境界がナイけれど。 光の粒子はやはり意思のようなものを帯びているみたい。 引き合う力と離れる力を放ちながら、関係性を創造しているみたいでした。 そして光の粒の軽快さ・・粒子の重さ・・・が「感情」の重さでつりあわなくて、 交じり合えないのだなあ・・という理解がやってきました。 エネルギーは粒子の形であるとともに波動でもある・・と考えると、 これは共鳴や不協和音みたいな現象を、粒子の形でみているの かもしれないなあ・・と感じました。 仕組みは、先日見たエレメンタル・ナノマシンにも似ているかも。 けれども、違うのはこちらはエーテルのなかの現象。生命のなかでそれが 起きていて。 何か深く躍動するような場のなかにありました。 お肉へのヒーリングは効いたみたいで。 おなかから煙がたくさん出たあと、すうっと重さが消えました。 そのあと、すっきりしてケーキまで頂けるほどに回復しました♪ あとで、botanical-healingさんから伺ったお話ですが。 同じお肉でも、エスキモーさんが食べているのは、感謝の祈りの もとに屠られ、皮まで残さず大切に「生かされて」いるがゆえに、 頂いても身体が拒否するような嫌な感じが起きないのだそうです。 粒子のレベルでも「感情」を帯びていて。頂くことそのものが、エネルギー レベルでの交流であるとしたら。 何も気持ちを通わすことなく屠られたお肉が、わたしとともにあることを 嫌がったとしても、無理のないことかも。 多くの宗教や伝統文化では、頂くまえに食べ物を祝福したり感謝を 捧げますけど。 生命を宿しているものと心を通わせることは、光の粒子=原子レベル でも意味のあることなのかも・・・ と、お昼に頂いた生命に教えていただいたのでした。 |
by lotus_ark
| 2007-06-29 09:12
| 見えること
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