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五感の外のフィールドワーク
by lotus_ark
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9月最後の日曜日に



偶然、昨夜入手した本、を今日読んでました。

鈴木志保著 「船を建てる」 秋田書店。

そのなかに、9月最後の日曜日に読むべき本を探しているくだりがあって、
そういう話を、9月最後の日曜日に読んでいるのも面白く。

漫画で、パックされていて、中身もわからずにふらっと買ってしまったの
ですけれど、これがなかなか・・・。この著者の人、ナニモノ!?


秋の夜長に。


・・・

ここから先は、整理されてナくて、自分へのメモみたいなもので、ゴメンナサイ・・。
お好みで、お付き合い下さいませ。



もひとつ読んでいるのは、ゲイリー・R・レナード著 「神の使者」 河出書房新社

奇跡のコースについて語られている本。

まだ途中なのですけれど、これも濃くて。


世界観について興味深いのが、絶対無限の存在についての位置づけです。

五感の内(物質的な認識世界)・五感の外(より繊細な認識世界)からさらに、
五感の外の外!がある、という考え方に、唸りました。

リサ・ランドールの宇宙論に似てるかも。


絶対無限の存在およびその愛はそこに属するもので、コレは、不変、不滅。

五感の外(一部か全部かはわからないけれど)を含めて、人が認知しうる世界は、
その内部での認識活動により生み出されていて、絶対無限の存在の創造による
ものではない。

内部の存在たちによる意識が創造した映像のようなものであると。

内部の存在たちとしての魂は、ゆえに映像のなかには実在していなくて、
本当は、映像の外に居る。

だから、映像は、それを創造し維持している意思を変えれば、変化させられる。



→この考え方だと、透視とか、物理的なルールを無視するような体験も成り立ち
得る・・のかな。そう考えると、体験的にチョットわかる気も。

と同時に、
「見る」ことに捕らわれることが、またオタク的な迷宮への門口になっていたり、って
こともありえて。

五感の外の現象も、映像内部に限定された永続的でない現象なのか、
五感の外の外に連なる現象なのかを峻別する必要があって。
・・イエ、分けなくたって、映像の中だけが全てでも十分楽しめるのですけれども。
五感の外を知ったからって、映像の外に出たわけではない。


それを悟った人は、たぶん映像の外に居る存在=観客(不変の場所=愛)に
意識の軸をジャンプさせて、映像内部での制約と感じられるものから自由な立場で、
しかし映像の世界にやさしく寄り添いながら、生きているのかもしれない・・・。


ちょうど、映画館の隠喩も「船を建てる」に出てくるの。
いやいやぁ~、おぢさん、びっくりしちゃったよう。>って誰。



と同時に、五感の外で感知されることどもや、

その断絶された世界の内側から、本来は不可知である絶対の世界と一体化
するための道筋そのものとして示されたのが、五感の外の外の世界と一体化
している=そのものである、ジョシュアである、と述べられていて。

なんていうか・・、個人の意思で開くことができるワームホール(次元を超える通路)
みたいなものなのかしら。

その開き方にはいろいろなアプローチがあるけれども、この本が主張しているのは、
ジョシュアにガイドしてもらうのが一番近道、ってコトのよう。


ケド読んでてまだ謎なのは、愛について。

人の認識する愛と、五感の外の外に存在する愛とは、どうも質的異なるような
コトが書いてアル・・・。うーん。人の愛だって、無制限の愛はあると思うけれど、
それと違うのかな???


・・・秋の夜長の虫の音が鳴り止む頃までに、読みきれるかしら。
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by lotus_ark | 2007-09-30 21:07 | 日常
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