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五感の外のフィールドワーク
by lotus_ark
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鳥葬の国




美保さんのブログのブータンの記事を読んでいて、懐かしい本と
記憶を思い出しました。


中学の頃繰り返し読んだ、川喜田二郎の『鳥葬の国』。
いま思うと女子らしからぬ愛読書デスね~(苦笑)
カトマンズからほぼ最北まで行ったところのボン教徒の村の探検
記です。

そこはネパールのなかでもとりわけ貧しい村でしたが、チベット仏
教の影響を受けた文化が生きる、子供や大人たちの目の輝く村で。

そこに残る葬送儀礼は遺体をハゲタカに運んでもらうものでした。
食べやすいようにばらばらにするので、僧侶の解剖学的知識はか
なり正確だったそうです。

ミルカンという大腿骨でできた笛を吹くと、広い空の彼方から鳥たち
が集まってきます・・。

ヴィジュアル的にはかなりショックでしたが。
鳥に自らが昇天する姿を重ね、ほぼ跡形もなく身体を自然に還す、
そのやりかたは、徹底的に無駄がなくて。

何か潔くさわやかに感じました。


その約10年後、カラコルムヒマラヤのK2より北側。インダス川の
源流最奥部の村でのこと。
車の走れる道も電気もない村でしたから、ボン教徒の村と生活条件
はさして変わらなかったかもしれません。

満天の星空を眺めて塩入ミルクティをのみながら、いまこの文明が
どんどん進んでいったら、この先人類どうなっちゃうんだろうね~、
などと冗談のように話をしていました。

案外、この村みたいな所が生き残ったりしてね(笑) と。


物があろうとなかろうと、感じる喜怒哀楽やストレスの種はその村も
日本も同じようなものでした。

ただ、彼等にあって日本の私たちにないのは、
より大きな存在・・・それは自然として顕れ、その背後に深く広がる世界・・
のように感じました。


山と空と大地と川が放つ強い気配に囲まれながら、村の人たちは自ら
の存在を主張するかのように、自然に向かって歌と踊りと祈りとを投げ
かけて暮らしていました。

お茶を喫んでいても、粉を挽いていても、歌っていても。
一年、峰峰を巡るように昇り沈む太陽と月とともに在って自分はその
一部でしかない。

持てるものをすべて失ってしまったとしても、自然とのつながりにおいて
は、何も失われはしない。

彼らのその飄々と生きるさまに、やはり何も求めない潔さと、強さのよう
なものを感じました。



・・・


もうすぐ冬ですね。



とても寒い朝。
濃く淹れたミルクティは本当においしいものですが。

あのミルクティを飲んだときの、生きていて、ただお茶を飲んでいる・・・・・
のを感じたくて。

わざと寒いベランダに出てみたりするのデス。
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by lotus_ark | 2006-11-09 10:16 | 日常
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