影との戦い |
またまた、「ゲド戦記」メモです。 メモなので、とっても、わかりづらいかもしれないです。 そうだったらごめんなさいね。 どうやらこれは、とても寓意に満ちた物語で。 あまり親切に説明されてはいないけど、埋め込まれてる象徴を 見つけられれば、その物語は生き始めるみたいです。 縁のある方には、きっと滋養のある物語です。 以下は、私の事例です。 選抜戦2日目。16チームも居るなかで、いちばん避けたかった 「影」のいるチームとくじびきで対戦が決まりました。 あちゃー、と思いましたが、題のまんま「影との戦い」をする状況 に導かれました。 「影」と出会い、去年まで私が対面していた戦いは、まさに2作目の 「こわれた腕輪」でした。 1作目、「影との戦い」では、個人と影との対面について語られて いました。 2作目では、影がつくる群れの力についての寓意が込められてい たようです。 私の場合、「影」が持っている「信念」は、 「支配しろ、さもなくば支配される」 でした。これが「影」の名で、それが私でもありました。 そのための強固な神殿が、影にとっても、自分にとっても、 チームでした。 群れ(=チーム)は、形成されれば、構成員を守ります。 なので、その保護のもとに依存しやすくなります。 依存は、闇です。 依存の闇が群れの内に生まれてしまうと、互いがより都合よく 依存できるように、闇は集まり、群れを守るための大きな闇が 生まれてきます。 それが、第2作目に出てくる迷宮のようです。 けれど、闇のなかにも、たしかにエレス・アクベの腕輪の断片は あって、それは不完全ですが、一つの集団を強固にまとめる力を 持っています。 力は、闇の迷宮隅々までをそらんじて、それを過たず操作するこ とで生まれます。 月並みにいうと、人の心の機微を捉え操作することに長けること、 デス。 一人、それに長けた大巫女(=リーダー)が居て、操作を適切に 行えば、それだけでもたしかに闇を介して群れはまとまります。 闇を介して繋がった群れは、それを操作する大巫女にとっては、 自分を守る最強の盾である神殿となります。 従わないものは、舌を切り、闇の迷宮に喰わせてしまうこともで きます。実際、「影」はそうしていましたし。 闇の凝集力によっても、擬似的な統治と安定は生じうるということ を、こわれた腕輪とそれのある闇の迷宮という場所が、暗示して いるんです。 ・・ 一方、腕輪の片割れは、光に晒された島の、全てを手放した無 欲な兄妹の手元にあり、ゲドへと手渡されました。 「無欲」もまた、エレス・アクベの腕輪の力を暗示しているように感じ ます。 それだけでは、何も機能はしないのですが・・・。 そして「無欲」は無欲なだけに、世界のなかでも、求めていっては得 られないような、とっても見つかりづらい場所にあるんです。 少なくとも、闇のなかに「無欲」は見つかりませんでした。 ・・ 人の心をつなぎ、集団としての人々を平和な状態の内にまとめ ていく完全な力とは、 無欲+闇とその迷宮を知りぬき、扱う力 です。 そして、それぞれの腕輪の片割れを繋げることができたのは、ゲド。 己の影の名を見出した者にしか、無欲と闇とを繋げ、完全なものと することは出来なかったのです。 これが、私が影との戦いで得た、ひとつの解釈です。 はぁ~、長かった。 これ一つ学ぶのに、3年半かかりましたもの・・・・・・。 エレス・アクベの腕輪は、「つなぎの文字」により国と国を結び つける力をもつ、統治と平和のしるし、として描かれています。 その完全な腕輪を嵌めた者こそ、「エレス・アクベの武勲」に 語られる、ヒーローなのかもしれません。 「影」に感謝です。 試合をしたあとの握手では、虚無の嫌ァな感じが伝わってきた けれど。去年より闇が深くなってた・・・。 いつか「影」も、自分の神殿を壊して、完全な腕輪を嵌められると きがくるといいね。 |
by lotus_ark
| 2006-08-07 08:12
| 日常
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